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What is "the" ordinary people ?

今から遠い昔、と言っても実は最近の話。僕が受験生だったころ。"the" はなんとなく付けるものではない、「それがひとつに決まる時に使うものだ」と習った記憶がある。

その頃、”the”をなんとなくつけていた僕にとってその話は新鮮なものだった。よってなんだかんだ今も覚えている。

 

閑話休題

 

そう考えると表題の問いは前提として存在し得ない。ordinaryつまり普通は、語義的にtheと矛盾するのは自明だから。

 

僕は自分がなろうと思ってもなれない人々と、なろうとも思えない人々を除外して、かつある程度僕と似た価値観を持った人から妥当だと思ってもらえるだろうというこすい前提のもとに「普通、人ってこんなもんじゃん?」と言う。

 

しかしここには更に除外している対象がいる。それは僕が努力すればそうなれるかもしれないけど、その努力をすることが金銭的、時間的制約によってではなく、ただ僕の性質、つまり「怠惰である」ことによって叶えられない、叶えようとしない人々も除外している。

 

だから何だという話である。んなことはわかってるけど、ちょっと体調が悪いのに前からの同窓会的な約束があって流石に断ることもできず、かつなんだかんだOB的な立ち位置からそれなりに饗されるだろうという期待から飲み会に行ったところやたら酔っ払ってしまい帰宅しても酔いが醒めず書きたくなったから書いてしまっているだけだし、はてぶなんてどうせチラシの裏の寄せ集めなんだからどうということはないだろうということだ。

 

僕の読んだことのある数少ない小説に二葉亭四迷の「平凡」というものがあるのだが、それがとても好きだ。要約すれば全能感満載の厨二病だった主人公(二葉亭四迷)がなんやかんや世間の荒波にボコられてしょっぱいマンになりつつ、けど「俺は俺をしょっぱいマンだと思ってるけどそれって実はしょっぱくなくない?」とか言っちゃうしょっぱいマンの話だと解釈している。

 

あと、見てないけどピングドラムの「きっと何者にもなれないお前達に告ぐ!」ってセリフもすごい好きです。

 

僕は本当は何者になりたい。そしてまだ若さから何者になれないと思いつつもなんやかんや何者になれるんじゃないかと今より少し先の未来の自分に投げっぱなしジャーマンして何もしないで日々を過ごしている。

 

英語で暇つぶしは"Kill time"というらしい。

 

なかなかに直球である。そう、毎日僕は時間を殺しているのだ。「時間は有限だ」とかいうクソみたいなただの事実を偉そうに語る言葉をしりつつ、そんなただの事実がやたらと説得力というか市民権を得て人口に膾炙しているのは僕が思う「普通の人々」が有限である時間を無駄に使っているからだ、なんてエクスキューズを織り込んだ上で時間を殺しているのだ。

 

時間を使ったことはあまりないが、それでも僕は数年間は時間を使うことができたと思っている。そして時間を使った後は、少なからず何かを得たと思っている。

 

けれども僕は今、僕は